必要とされるかより、必要としていることの方が結局は私にとって大事なのだな。
もちろん、優しくされたいし守ってもらいたい。
でも、ずっと挑戦し続けないと自分さえ見失ってしまう。
それが私にとっては音楽を作り奏でることなんだ。
生きている証。
必要とされているものかどうかについてすごく考えることあるよ。
そしたらね、正直よくわからない。
応援してくれる人がいるよ、好きだって言ってくれる人がいるよ。
とってもとってもありがたいよ。
その人たちに応えたいと思う。
でも、必要かどうかは…わからないよ。
だったらなんで続けるの…孤独な時間あえて作って、それでも生きていける収入にもならないのに。
小さい頃からただただ歌うことが、音楽に身を任せるのが好きだったから。
私の感覚が呼び起こす音や言葉を繋いで重ねて、そのときそのときの本当を奏でる。
過去10年を振り返っても、この行為が私の中で許されなかったら気がおかしくなっていたかもしれない。
私が作る音楽は、もう既に十分幸せに生きているという人には要らない音楽かもしれない。
私の自己中心的に作られた音を少しでも共有したいと思う可能性のある人は、きっと少なからず私と似たところがある人だと思う。
単に、端から見て幸せか幸せではないか、ということではないよ。
それを感じることが難しいこと、不安定なこと、過剰な情報や感情に包まれてしまうこと。
いろいろあるよ。
それも個性だから、それでいいんだ。
でも、みんな楽しめる要素を持ってるし、怖がっているところもある。
楽天的に楽しんでいる瞬間と、難しくなってしまう瞬間が入り乱れることも。
それが私だ。
仕方ないからその両面をnaomi onに託して歌わせる。
それがないと今のところ生きられない。
人を幸せにしたいから、まずは自分を支えないとね。
低次元でまだもがいている私の、終わらない挑戦人生。
ここ歩いたらもっと素敵なところへ行けるよ。
すんごい楽しいよ。
こっちおいでよ。
でも、無理なときはあるよね。
その手が欲しいときも要らないときもあるよ。
焦らずゆっくりね。
まずは、なるべくたくさんの人たちが今日を、最大限楽しく生きられます様に!
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